チャニアーンな一日
家族と過ごすチャニアーン(極上)な一日. 平凡な日々の中からみつける極上なひと時. があればいいな〜と思いつつ
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1963年12月15日 力道山 死亡
この日、力道山は腸閉塞を併発し再手術。午後4時完了。
その後、麻酔が効いた状態のまま妻を一旦帰宅させる。
午後9時に突然危篤状態となり、手当ての甲斐もなく午後9時50分死亡。
その時の病状経過(書)によれば、
『去る十二月九日早朝に行った手術後の経過は一応順調であると思われたが、昨夜半より腸閉塞症を起こし一般状態が次第に悪化し始めた。
よって再手術を本十五日午後二時三十分より行い四時に終了。輸血等により小康を得たが、午後九時より急激にショックに陥り、諸種の手当ての甲斐もなく午後九時五十分、不幸な転機となった。』とある。また、後日作成された死亡診断書には、
『診断書
姓名 百田光浩殿
病名 穿孔性腹膜炎
治療 昭和38年12月9日ヨリ
附記 右疾患にて入院治療せしるも昭和38年12月15日死亡す。
右ノ通及診療候也
昭和44年1月28日
東京都港区赤坂八丁目五番地三五号
山王病院
電話(四〇二)三一五一‐五百
医師 長谷和三』とある。
後の力道山を刺した村田勝志(受刑者)の裁判では、麻酔のカルテだけが紛失したとして提出されていないが、関係者の証言から常人の2倍の量の麻酔を使用したことはわかっているが、何を使ったかが不明なままだ。また、土肥修司著『麻酔と蘇生』中央公論社によると、死因はショック死ではなく麻酔担当医による医療ミスだと書かれている。
今日の医療では考えられないことかもしれないが、隠蔽体質は昔からあったことが証明された。
力道山よ、永久に!
つづく...
その後、麻酔が効いた状態のまま妻を一旦帰宅させる。
午後9時に突然危篤状態となり、手当ての甲斐もなく午後9時50分死亡。
その時の病状経過(書)によれば、
『去る十二月九日早朝に行った手術後の経過は一応順調であると思われたが、昨夜半より腸閉塞症を起こし一般状態が次第に悪化し始めた。
よって再手術を本十五日午後二時三十分より行い四時に終了。輸血等により小康を得たが、午後九時より急激にショックに陥り、諸種の手当ての甲斐もなく午後九時五十分、不幸な転機となった。』とある。また、後日作成された死亡診断書には、
『診断書
姓名 百田光浩殿
病名 穿孔性腹膜炎
治療 昭和38年12月9日ヨリ
附記 右疾患にて入院治療せしるも昭和38年12月15日死亡す。
右ノ通及診療候也
昭和44年1月28日
東京都港区赤坂八丁目五番地三五号
山王病院
電話(四〇二)三一五一‐五百
医師 長谷和三』とある。
後の力道山を刺した村田勝志(受刑者)の裁判では、麻酔のカルテだけが紛失したとして提出されていないが、関係者の証言から常人の2倍の量の麻酔を使用したことはわかっているが、何を使ったかが不明なままだ。また、土肥修司著『麻酔と蘇生』中央公論社によると、死因はショック死ではなく麻酔担当医による医療ミスだと書かれている。
今日の医療では考えられないことかもしれないが、隠蔽体質は昔からあったことが証明された。
力道山よ、永久に!
つづく...
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